仏事には知らないことがたくさんあります。宗派ごとのお仏壇の違いなど、分かりやすくご説明します。 お彼岸とは 彼岸という言い方は「到彼岸」略したものです。 これはインドで使われている言葉のひとつサンスクワット語の「パーラミター」(波羅蜜多)を訳した言葉で、文字通り彼岸へ到達するという意味です。 彼岸とは悟りの世界を意味し、迷いや苦悩にみちたこちら側の岸(此の岸)に対して、あちら側の岸(彼の岸)、つまり極楽浄土をしめしているのです。 では、どうしたら極楽浄土の岸へ渡れるのでしょうか? 仏教には六波羅蜜の教えということがあります。 1.[布施]他人へ施しをすること 2.[持戒]戒を守り、反省すること 3.[忍辱]不平不満を言わず耐え忍ぶこと 4.[精進]精進努力すること 5.[禅定]心を安定させること 6.[智彗]真実を見る智彗を働かせること こうした徳目は本来なら毎日心がけるべきなのですが、日頃は忙しくてなかなか実行できないのではないでしょうか。 そこで、せめて春と秋、ともに2回くらいは実践しようというのが、お彼岸法要の意味です。 お彼岸には、ご先祖様のお墓にお参りし感謝と冥福を祈るとともに、六波羅蜜の教えを実行したいものです。 お盆とは 正式には「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言い、サンスクリット語の「ウラバンナ」を漢で音写したものです。 「盂蘭盆経」に説かれている目連尊者の話に由来します。 お釈迦様の弟子の中でも、神通力が秀でていた目連はある日自分の母親の死後の世界を見ました。 なんと母親は餓鬼道にいて、飢えと乾きに苦しんでいる姿が見えました。 目連は何とか母親を救えないものかとお釈迦様に尋ねたところ、「生前施しの気持ちが無かった為に餓鬼道にいる、代わりに布施行しなさい」と言われました。 目連は教えに従い、夏の修行期間のあけた7月15日に多くの僧侶・貧困に苦しむ人々に食物などの施しをしました。 それにより目連の母親は極楽往生が出来たといいます。 「お盆」の日付・行事は地方によってまた宗派によって異なることがありますが、一般的にはご先祖の霊が帰ってくる期間だと言われています。 * 注記* 浄土真宗では「霊」が帰って来るとは考えません、仏法にふれさせて頂く期間と考えます。 お仏壇の飾りかた 天台宗 ご本尊は久遠実成無作の本仏である釈迦如来ですが、阿弥陀如来をまつることも多いようです。 それぞれの信仰によって、薬師如来・観世音菩薩・不動明王・毘沙門天などをまつることもあります(一般的には菩提寺のご本尊にならいます)。 むかって右側に高祖天台大師を、左側に伝教大師最澄のご影像をかかげます。 真言宗 分派が多く、また地域による違いもあり、飾り方はさまざまですが一例をあげます。 高野山真言宗では中央にご本尊である大日如来を、向って右側に弘法大師、左に不動明王をまつります。 豊山派・智山派では左に興教大師覚鑁、あるいはそのかわりに不動明王か、観世音菩薩や地蔵菩薩などをまつることが多いようです。 浄土宗 中央にご本尊の阿弥陀如来を、向って右に観世音菩薩、左に勢至菩薩をまつります。 さらに観音菩薩の隣に、唐の善導大師を勢至菩薩の隣には宗祖円光大師法然をまつります。 お仏壇の大きさなどによっては、観音・勢至の両菩薩は省略されます。 また、仏壇か厨子の前に戸張を垂らすこともあります。 浄土真宗本願寺派 絵像の阿弥陀如来を中央に飾ることが多いようですが、最近では木像を飾ることもあるようです。 そして向って右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号を、左に「南無不可思議光如来」の九字名号を飾ります。 また、右に親鸞聖人、左に蓮如上人の絵像を掛けることもあります。 真宗大谷派 ご本尊・阿弥陀如来を中央に、その両脇に御脇掛(九字・十字の御名号、または親鸞聖人・蓮如上人の御影)、及び側面に先祖代々の法名を奉安します。 法名は掛軸にし、位牌は用いません。 臨済宗 臨済宗には多くの分脈があり、飾り方に相違があるので詳しくは菩提寺のご住職に相談してください。 仏壇の中央にはご本尊として釈迦牟尼仏をまつることが多いようですが、両脇は各派で違いがあります。 曹洞宗 お仏壇の中央に、ご本尊の釈迦牟尼仏をまつり、脇に文珠・普賢の三尊形式とするか向って右に道元禅師を、左に瑩山禅師を配して「一仏両祖」の三尊仏形式としてまつります(一仏両祖を一本とした、三尊仏の掛け軸もあります)。 また、右に達磨大師を、左に道元禅師と瑩山禅師をまつる場合もあるようです。 日蓮宗 中央には大曼荼羅か、釈迦牟尼仏、あるいは三宝尊のいずれかをご本尊としてまつります(三宝尊とは向って右に多宝如来、中央に「南無妙法蓮華経」のお題目、左に釈迦牟尼仏を配したものです)。 その右に鬼子母神、左に大黒天をまつります(法華宗では逆)。 そしてそれらの前中央に日蓮聖人をまつります。